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神戸地方裁判所 平成元年(ヨ)422号 決定

債権者 モハメッド・ワシ・サイガル

右代理人弁護士 小原望

同復代理人弁護士 東谷宏幸

同 叶智加羅

債務者 合名会社オリヱンタル・エキスポートインポートコンパニー

右特別代理人弁護士 永田徹

債権者が金一〇万円の保証を立てることを条件として、次のとおり決定する。

主文

債務者会社は、別紙目録(二)記載の帳簿、書類を、債務者会社本店において、営業時間内に限り債権者又はその代理人に閲覧謄写させなければならない。

債権者のその余の申請を却下する。

申請費用は債務者の負担とする。

理由

第一申立

一  債権者

債務者会社は、別紙目録(一)記載の帳簿、書類(以下「本件文書」という。)を、債務者会社本店において、営業時間内に限り債権者又はその代理人に閲覧謄写させなければならない。

二  債務者

債権者の本件仮処分申請を却下する。

申請費用は債権者の負担とする。

第二主張

一  債権者

1  申請理由

(一) 債務者は、諸機械・薬品・繊維製品等の輸出入等を目的として、昭和二四年五月二一日設立された合名会社であり、その出資総額は金八〇〇万円である。

(二) 債権者は、債務者会社の出資総額の四〇パーセント以上にあたる金三、二一一、〇九三円の出資価額を有する社員である。

(三) 債務者には、昭和六〇年四月五日付で社員総会を開き代表社員エム・ユソフ(以下「ユソフ」という。)の辞任等の案件について決議をした旨の議事録(以下「本件議事録」という。)が存する。

しかし、ユソフは、すでに同年二月一四日に死亡しているのに、出資総額の四〇パーセント以上に当る持分を有する債権者に何ら招集通知をすることなしに右の決議がなされており、その債権者の署名も債務者の従業員である高瀬順子、税理士飯山正二等の巧みな誘導で錯誤によりなされたものであるので、かかる決議は不存在かつ無効である。

しかるに、会社名義の銀行預金三億三四五万円をユソフの遺産とし、パキスタンでなされた仲裁判断(以下「本件仲裁判断」という。)が未確定で日本においては効力が生じていないのに(承認・執行判決も得ていない)、この仲裁判断を利用して既に会社財産を遺産として一部の相続人間で処分したりしている。これは、債務者会社の創業者であるユソフの死亡後、同人の第二妻である高瀬順子が、他の相続人と共謀のうえ自らの個人的な利益追求のために会社と個人を混同した著しく不公正な行為である。

ところが、右高瀬は債権者がこのような不当な決議や会社の不正な業務執行等を監視しようとしても、債権者の正当な代理人による社員として当然に認められる筈の債務者の定款・会計帳簿等の閲覧請求さえもかたくなに拒絶し、監視を不可能としている(なお、高瀬はユソフ死亡後本件会社に入社した旨の登記があるが、右登記は前記の無効な社員総会決議に基づくものであり、高瀬は債務者会社の社員たる地位を有しないものである。)。

(四) 本件仮処分申請を審理するにあたっては、債権者の求めている仮処分の内容が、本来法によって認められている当然の権利の行使を内容としているという点を十分考慮すべきである。すなわち、合名会社の社員は会社の業務執行権限を有する者として当然に会社の会計帳簿等に接し得るものであり、これは社員の業務執行権限の中に当然含まれる権限なのである。のみならず、合名会社においては業務執行権限を有しない社員といえども、他の社員のなした業務執行に対する検査権を無留保で有しているのであり(商法第六八条、民法第六七三条)、これは無限責任を負う合名会社の社員にとっては欠くべからざる権利なのである。

(五) 右のように、債権者の求めている本件仮処分の内容は本来当然に認められるべき社員の権利の行使であるにもかかわらず、債務者会社は何ら正当な理由なく、債権者の請求を拒み続けているのであるが、債務者会社においては、社員総会決議の手続や会計処理の方法において重大な違法をおかしているという過去の事実からすると、債権者が会計帳簿の閲覧を求めて本訴を提起したとしても、判決言渡までに書類の隠匿、改ざんがなされるおそれは極めて高いものであるから、債権者は本件仮処分申請に及んでいるのである。

かような仮処分申請は、本来本訴でなすべき会計帳簿の閲覧請求を仮処分により実現してしまうもので一旦執行がなされたら原状回復は不可能との見解もあろうが、本件仮処分の目的は会計帳簿の閲覧それ自体にあるのではなく、それにより不正行為の事実ないしそのおそれが明らかになった場合に、これを是正、防止することに本来の目的があるのであって、本件仮処分は右本来の目的の実現の前提手段に過ぎない。従って本件仮処分がたとえ断行の仮処分的性格を有するとしても、これを認めることにより債務者に損害が生ずるおそれは存しないのである。会計帳簿の閲覧の結果、何らの不正のないことが明らかになれば、それは債務者会社の社員たる債権者にとっても望ましいことで何ら問題はないのであり、閲覧の結果不正が発覚した場合は当然しかるべき是正措置ないし責任追及がなされるべきは当然なのであって、かような措置の前提手段としての本件仮処分を認めても何ら債務者会社に損害が生ずることはないのである。

(六) そこで、債権者は、債務者会社の財政状況及び経営成績を知り、会社の不正経理や不当な会社運営を是正し、社員の不当な損害を避けてその利益を擁護する必要があるので、商法第六八条により準用される民法第六七三条に規定する検査権、監視権の趣旨及び商法第三五条の商業帳簿提出義務の趣旨に基づいて本件文書の閲覧謄写権を行使するものである。

(七) 債務者は、本件仮処分申請を認容すると債権者がその本来の目的を達してしまい、後に債務者が本案訴訟で勝訴しても損害を回復することは不可能であると主張している。しかし、債権者が求めている会計帳簿等の閲覧謄写は会社の社員であれば当然認められる権利の行使にすぎず、これを認めたからといって、債務者に損害が生ずることは考えられない。従って、損害の回復云々ということもそもそも考える必要がないというべきである。

また、債務者は、債権者がユソフの遺産の要求の手段として本件仮処分申請に及んだと邪推しているが、債権者はあくまで会社の社員としての立場で会社の業務執行ないし会社財産の運用の適正を確保するため本件仮処分申請に及んだに過ぎないのであるから、債務者が主張するような損害は生じえないのである。また、もし債務者の主張するように債権者が遺産の要求を目的として本件仮処分に及んだのだと仮定してみた場合でも、遺産の要求によって債務者会社に損害が生ずるということはあり得ないはずである。なぜなら、それは相続人としての損害であって会社の損害ではないからである。従って、債務者の主張を前提としても債務者に損害が生ずるということはあり得ないのである。

(八) なお、本件仮処分は債務者会社の創業者であるユソフ死亡後にその相続人高瀬順子等が会社名義の財産を個人の財産として引き出し費消したり、不当な総会決議をなすなどして行なった不正行為を是正するためになされたものであるが、保全の必要性の認められる書類は単にユソフ死亡後のものに限られず、それ以前の書類についても保全の必要性がある。けだし、ユソフ死亡後の会社の業務執行においていかなる不正がなされたかはユソフ死亡前後の書類を比較して始めて明らかになるものであり、ユソフ死亡後の書類のみでは会社の業務執行が適正になされたか否かを確かめるため会社社員たる債権者に認められている検査権の実効性を確保しえないからである。

(九) なお、本件仮処分申請の前には、同様の内容の仮処分申請及び決定がなされ、右決定に対する異議事件の審理がなされたといった経緯があるが、右異議申立は何ら会社を代表すべき権限のない者によって、しかも単に引き延ばしの目的でなされた不当なものであったのである。

債務者は、債権者が本件と同内容の仮処分決定を得ながら、約二年後にこれを取り下げたことをもって、本件仮処分申請には緊急性、重大性がないと決めつけているが、債権者が先行仮処分を取り下げたのは、相手方が会社を代表する権限のない者であったためにすぎず、保全の必要性がなかったためではない。

(一〇) また、債務者は、債権者が別訴において債務者会社名義の預金がユソフの遺産であることを前提とした訴訟をしていることから、本件仮処分も右訴訟を有利に進めるための個人的目的のためなされたものであると決めつけている。しかし、債権者は、債務者名義の預金が会社財産なのかユソフ個人の遺産なのかは不明としているのであり、債権者が別訴提起したのは、債権者を除く高瀬順子ほかユソフの相続人等間で債務者会社名義の預金をユソフ個人の遺産として勝手に引き出して分割費消するという暴挙に出たからであり、あくまで右高瀬等の行為に対応してのものである。かように、他の相続人らが会社名義の預金をユソフ個人の遺産として債務者を除いて勝手に分割費消するという実力行使に出ている以上、債権者が、別訴において預金が会社財産である旨主張する権利を後に留保したうえで、右高瀬等の行為に対する防御として別訴を起こしたとしても何ら本件仮処分申請と相矛盾することにはならないものである。

(一一) なお、債務者は、債権者が本件議事録の瑕疵を問題にしていることを引き合いにして、本件仮処分は右社員総会に関する文書の閲覧等のみで足りるのではないかと指摘しているが、これは債権者が本件仮処分申請を成した目的を十分理解しない主張である。なるほど、右社員総会議事録の瑕疵は重要であり、右社員総会に関する文書の閲覧は認められるべきであるが、問題はあくまで本件仮処分の保全の必要性を基礎付ける一事実にすぎないのであって、会社の業務執行において不正がなされたと疑わせる右のような事実が存する以上、他のすべての業務執行についてそれが適正になされたか否かを検査し、不正があればこれを是正する措置をとるために会計帳簿等一切の書類について閲覧謄写を求めても何ら必要性の範囲を越えるものではない。よって、債権者は、債務者に対し、本件文書の閲覧謄写の仮処分を求める。

2  抗弁に対する認否

(一) 債務者主張の抗弁事実は否認する。

(二) 債務者は、債権者が会社の経営に実質的に関与していないことをもって本件仮処分に被保全権利がないと決めつけているが、債務者が経営に関与したことがあるか否かと、被保全権利の存否とは直接関係がない。そもそも合名会社においては各社員に業務執行権限が与えられており、他の社員のした業務執行についての検査権を有している。従って、仮に債権者がこれまで業務執行に現実的に関与したことがなかったとしても、そのことをもって債権者の業務執行権及び検査権を否定することができない。

(三) 債務者は、本件仮処分申請は債権者がユソフの遺産の分割問題を有利に進めるという個人的目的のためになされたもので権利の濫用として許されないと主張している。しかし、債務者が債権者の仮処分申請を権利の濫用であると主張する根拠は本件会社名義の預金をめぐる別訴が係属中であるということ及び債権者がユソフ死亡前は会社の業務に直接関与していなかったということにすぎず、何ら債権者の仮処分申請が権利の濫用に当たることを基礎付けるに足るものではない。

また、債務者は債権者の本件仮処分は商法二九三条ノ七の趣旨にも反する旨主張する。

しかし、債権者の求めている会計帳簿等の閲覧謄写請求は、合名会社の社員には当然認められる権利の内容なのであり、右権利行使が明らかに権利の濫用と認められる場合以外は、これを制限すべき根拠は何ら存在しないのである。すなわち、合名会社の社員は、会社債権者に対し無限責任を負うことの反面、社員資格を有すれば当然に業務執行権限や他の社員のなした業務執行に対する検査権が与えられているものであり、社員の無限責任と業務執行権限・検査権限とは表裏一体の関係にある。もし、債務者の主張するがごとく、債権者の検査権に基づく会計帳簿の閲覧謄写が制限され、ないしは認められず、会社債権者に対する無限責任のみを負わされるとするならば著しく正義に反することは明らかである。かような観点からしても、債務者会社の社員たる債権者が閲覧謄写を求めている以上、債務者は直ちにこれを許さなければならないのであり、権利実現に際しその必要性の疎明を厳格に要求することは本末転倒というべきなのである。債務者は保全の必要性を厳格に要求すべきであるとの学説等を引用しているが、それらはいずれも株式会社の社員等有限責任社員からの請求の場合であり、会社の業務執行権限につき何らの制限も課せられていない債権者からの請求には当てはまらないものである。

二  債務者

1  申請理由に対する認否

(一) 申請理由(一)は認める。

(二) 同(二)のうち、債権者が債務者会社の社員であることは認めるが、その余は否認する。

(三) 同(三)のうち、本件議事録が存在すること、ユソフが昭和六〇年二月一四日に死亡したことは認めるが、その余は否認する。

(四) 同(四)ないし(一一)は否認する。

(五)(1) 本件仮処分申請は、帳簿の閲覧謄写の断行の仮処分を求めるものであり、かかる仮処分は、原状維持の仮処分等とは異なり、一旦閲覧謄写がなされると債権者はその本来の目的を達し、仮にその後の本案訴訟で債務者が勝訴したとしても十分な損害の回復は不可能である。

従って、仮にこの種の仮処分が許容される余地があるとしても、保全の必要は、債権者が閲覧謄写を求めている各書類毎に厳格に解さねばならない。

この点について、学説は、「請求者についての緊急切実な保全の必要と会社が仮処分によって受ける不利益とを比較して、閲覧等をなさしめることもやむをえないと認められる程度に被保全利益が重大かつ緊急な場合(実際そのような事例は少ないであろうが)には、その仮処分をなしうるとするのが妥当であろう」としており、判例も同旨である。

(2) 債権者は、昭和六二年七月一〇日付で本件仮処分申請と同旨の仮処分申請(昭和六二年(ヨ)二九七号)を行ない、同月一三日付で仮処分決定を得た。その後、かかる仮処分決定に対する異議申立(昭和六二年(モ)一〇一六号)がなされたが、右仮処分事件は、約二年の審理を経た後、平成元年六月六日債権者の申請取下により終了した。

かかる債権者の態度からも、本件仮処分には、右(1)記載のような緊急性または重大性がないことが明らかである。

(3) また、債権者は、会社名義の銀行預金の取扱を非難するけれども、右預金はユソフの遺産に属し、債務者会社の財産ではないから、これをもって債務者を相手方とする本件仮処分申請についての保全の必要を基礎づけることはできない。

(4) 債権者は、社員総会決議の瑕疵を主張するけれども、本件議事録は、債権者が全事情を了解したうえで作成されたものであるから、債権者は、その瑕疵を主張することはできない。

仮に瑕疵があるとしても、右社員総会に関連する文書を閲覧謄写すれば足りるのであって、その他の文書についての保全の必要は認められない。

(5) さらに、債権者主張のような決議の瑕疵や本件仲裁判断の瑕疵があるとしても、債権者は、すでにこれらに関する書類を取得しているので保全の必要性はないし、その他の書類については、前記(1)のような具体的理由の主張立証がないので、保全の必要性はない。

(6) たとえば、債権者の主張する事実に基づいても、定款や社員名簿を、また昭和五〇年代の書類まで、伝票式のものを含んだ仕訳日記帳まで、さらに総勘定元帳のほかに試算表までも閲覧謄写を求める必要があるのか、その理由は全く不明である。

もし本件での債権者の主張立証の程度で本件文書の閲覧謄写の仮処分が認容されるとすれば、現在までの多くの判例学説が仮処分による閲覧謄写請求について厳格かつ具体的な保全の必要性を要求することによって守ろうとしてきた会社の利益は全く無視されることになって不当である。

2  抗弁

債権者が本件仮処分申請をなすに至った背景には、ユソフの遺産をめぐる問題がある。

ユソフは、昭和六〇年二月一四日神戸市で死亡したので、その相続人らは、右ユソフの遺産分割について、単独仲裁人をシャイク・ラシド・アマドとする仲裁契約を締結し、その後、昭和六一年一月二三日、右仲裁人は、本件仲裁判断をした。

債権者は、右仲裁手続に一貫して関与していたが、仲裁判断の結果を不服として、昭和六一年四月二八日、パキスタン国のジンド高等裁判所に訴訟を起こした。債権者は、ついで日本で、昭和六二年三月三日に神戸地方裁判所に所有権移転登記抹消手続請求事件(昭和六二年(ワ)第二九八号)を提起し、昭和六二年三月二日付で右ユソフの遺産に関連して債務者に対し帳簿等の閲覧を求めた後、同年七月一〇日には神戸地方裁判所に本件仮処分申請の前身である会社帳簿等の閲覧・謄写仮処分事件(昭和六二年(ヨ)第二九七号事件)を申請し、同年八月三日に神戸家庭裁判所に遺産分割調停(昭和六二年(家イ)第七五六号)を申立てるというように、矢継ぎ早に争訟を提起した。この他にも、右遺産相続に関連する租税の問題について国税不服審判所に申立をし、また債務者会社取締役である高瀬順子を刑事告訴している。このように、債権者は、およそ考えられるだけの方法を用いて右仲裁判断を覆さんとしている。

債権者は、右所有権移転登記抹消登記手続等請求事件において債権者主張の銀行預金について他の相続人に対して訴訟を提起している。これは、右銀行預金がユソフの個人遺産であることを前提とするものである。本件仮処分申請は、右訴訟と関連し、会社財産とは別個のユソフ個人の遺産についての情報を得るためになされたものである。債権者が、かかる情報を得たいのであれば、右所有権移転登記抹消等請求事件においてその解決を図るべきである。

債権者は、閲覧請求書には遺産をめぐって相続人間で争いがあるとし債権者にも相続人として相当な金員を支払うことを要求する旨記し、そのために各種書面の写しの交付を求めるとしている。これによれば、同人の権利行使は、明らかにもっぱら相続人としての遺産の要求の手段として為されているに過ぎない。

しかし、債権者は、これまで債務者会社の業務を社員として行ったことは一度もなく、債務者会社の業務の実際についても何らの知識を有しない。本件仮処分事件や先行仮処分事件の係属後も会社の経営に参加しようとしたこともない。

そして、そもそも閲覧権がなく故ユソフの遺産を巡る争いに利用するために各種書類の閲覧を求めている債権者が、しかも仮処分という仮の手段によって各種書類を閲覧することによって、債務者ないしその債権者以外の持分権者が重大な損害を被ることが明白である。

このように、債権者の本件仮処分申請の目的は、債務者会社の経営の是正ではなく、故ユソフの遺産を取得するための個人的な資料収集であり、商法二九三条ノ七第一号の趣旨に違反するかないしは権利濫用であり、かかる債権者には、被保全権利は存しない。

よって、債権者の本件仮処分申請は被保全権利及び保全の必要性存在の疎明がないので、却下さるべきである。

第三当裁判所の判断

一  被保全権利について

1  申請理由(一)は、当事者間に争いがない。

2  同(二)のうち、債権者が債務者会社の社員であることは、当事者間に争いがない。

《証拠省略》によれば、同(二)のその余の事実が一応認められる。

3  右1、2の認定事実によれば、債権者は、合名会社である債務者の無限責任社員であることが明らかである。

そうすると、商法第六八条、民法第六七三条に基づき、債権者は、債務者会社の業務財産状況検査権の行使として、自ら会社に赴き、帳簿その他の書類を検閲することができる。

4  審尋の全趣旨によれば、債務者(履行補助者高瀬順子)が本件文書を現に所持していることが一応推認される。

5  債務者は、債権者の本件文書閲覧謄写請求権の行使が商法第二九三条ノ七第一号の趣旨に違反するかないしは権利濫用に該当して許されない旨主張するので検討する。

(一) 合名会社については、株式会社に関する商法第二九三条ノ六や同法第二九三条ノ七の規定の準用はないけれども、社員としては、検査権の名を藉りて濫りに業務執行を妨害することは権利濫用として許されないことはいうまでもない。

そして、検査権の行使としての帳簿等の閲覧請求が権利濫用にあたるか否かの判断にあたっては、債権者が善良なる管理者の注意をもって右請求をしているか否かを検討しなければならない。

(二) ところで、本件仮処分申請の趣旨は、前記のとおり本件文書を債務者会社において営業時間内に限り閲覧謄写させることを求めるものであるから、会社の営業に支障を与えるものではなく、閲覧謄写請求権の行使方法につき債権者に何ら善管注意義務違反はない。

(三) 債務者は、債権者の本件仮処分申請の目的が会社経営の是正ではなく、故ユソフの遺産を取得するための個人的な資料収集であるから本件仮処分申請が権利濫用になると主張する。

しかし、仮に債権者の目的が債務者主張のとおりであったとしても、それだけでは本件文書を閲覧謄写させることにより債務者会社の業務が妨害され損害を被るとは考えられず、その他企業秘密の漏洩等の損害を破るとの点につき何らの疎明がない。

さらに、後記二2の(二)ないし(五)認定のとおり債務者会社の業務執行に不正があったと推認され、それ故に債権者は会社経営を是正し、社員としての権利を確保するために本件仮処分申請に及んだものと認められる。

(四) 債務者は、債権者が債務者会社の経営に実質的に関与していないことをもって被保全権利がないことの根拠になると主張するけれども、債務者が経営に関与したか否かと被保全権利の存否とは直接の因果関係はない。

本来、合名会社においては、各社員に業務執行権限が与えられており、他の社員のした業務執行についての検査権を有しているので、これまで業務執行に現実的に関与したことがなかったとしても、債権者の検査権を否定することはできない。

(五) その他債権者の本件文書閲覧謄写請求権の行使が商法第二九三条ノ七第一号の趣旨に違反し、あるいは権利濫用にあたることの疎明はない。

(六) よって、債権者の本件文書の閲覧謄写を請求するについては商法第二九三条ノ七第一号の拒絶事由が存在せず債務者主張の抗弁は、失当であって、本件仮処分申請については被保全権利存在の疎明があるといわなければならない。

二  保全の必要性について

1  債務者は、本件仮処分申請は帳簿の閲覧謄写の断行の仮処分を求めるものでその後に本案訴訟で勝訴しても損害の回復が不可能であるから許されない旨主張する。

しかし、満足的仮処分は、一般に保全の必要が存する限り原状回復の事実的可能性の有無に拘らず認められていることに徴し許されるべきであると解すべきであるから、右主張は失当である。

しかし、右仮処分は、請求権者につき著しい損害、急迫な強暴等緊急な保全の必要性がある場合に限って認めるべきである。

2  以下この見地に立って保全の必要性の有無について検討する。

(一) 先づ債務者は、先に債権者が本件仮処分と同旨の先行仮処分決定(昭和六二年(ヨ)第二九七号)を得ながらその申請の取下をしたから仮処分を認めるべき緊急性又は重大性がない旨主張する。

しかし、債権者が先行仮処分決定を得ながらその申請の取下をしたのは、当該仮処分決定の債務者の代表者が代表権限を有しなかったためであることは、当裁判所に顕著であるから、右申請の取下があったからといって緊急性又は重大性がないとはいえないので、右主張は失当である。

(二) 次に債務者は、銀行預金がユソフの個人遺産に属するのでその処理の当否は会社を相手方とする本件仮処分申請について保全の必要性を基礎づけるものではない旨主張するけれども、《証拠省略》によれば、右銀行預金は、債務者会社名義でなされていることが一応認められるので、その処理の当否は、当然社員の監視権、検査権の対象となり、保全の必要性の存在を基礎づける事情となるので、債務者の右主張は失当である。

(三) また、債務者は、本件議事録が債権者の了解を得て作成されたものであり、社員総会の決議に瑕疵がなかった旨主張するけれども、《証拠省略》によれば、本件議事録は、債権者の錯誤に基づく瑕疵ある決議と署名によるものと一応認められる。

さらに《証拠省略》によれば、代表社員エム・ユソフが昭和六〇年二月一四日に死亡しているのに、本件議事録には同人が同年四月五日の社員総会で代表社員を辞任した旨明らかな虚偽の事実が記載されていると推認することができる。

従って、債務者の右主張は失当である。

(四) さらに、内容虚偽の社員総会議事録が作成されたような場合には、社員としてはその背景となる業務全般について検査権を行使しうるものと解するのが相当であるから、社員総会に関連する文書に限って閲覧謄写を認めれば足りるとの債務者の主張は失当である。

(五) また、債務者は、債権者がすでに本件議事録の対象たる社員総会や本件仲裁判断に関する書類を取得していることを前提とし、これらに関連する文書の閲覧謄写の必要性を否定するけれども、右前提事実の存在を疎明するに足りる証拠はないから、右主張は失当である。

(六) 申請理由に徴すると、債権者が本件仮処分申請に及んだ直接の動機は、会社名義の銀行預金三億三四五万円の不正な支出費消による社員たる債権者の損害の回復にあることが明らかである。

(七) 《証拠省略》によれば、右(六)の預金は、故エム・ユソフの遺産であるが預金名義人が債務者会社となっているところから、会社財産であると解すべき余地があり、これを処分する場合には社員たる債権者にも応分の利益分配があって然るべきであるのに、他の社員(相続人)にのみ分配されたことが一応認められる。

右事実によれば、債務者会社の業務執行に不正があったと推認することができる。

(八) 債務者は、債権者が本件文書の閲覧謄写をすると債務者ないしその持分権者が重大な損害を被る旨主張するけれども、これを疎明するに足りる証拠はない。

(九) そうすると、本件仮処分申請については、故エム・ユソフ死亡の昭和六〇年以降本決定送達の日までの銀行預金に関する文書として、定款・社員名簿・社員総会議事録、銀行預金出納帳に限り、保全の必要性があると認められる。

その余の文書については、右の文書の閲覧謄写により不正が発覚する等した場合にあらためて第二次仮処分の申請をすれば足り、現時点においては保全の必要性がないというべきである。

三  結論

よって、本件仮処分申請は、主文第一項の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを却下し、申請費用の負担について民訴法第二〇七条、第八九条、第九二条但書を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 辰巳和男)

〈以下省略〉

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